水野 葉舟

 怪談の中でも、人間が死ぬ断末魔の刹那に遠く離れて居る、親しい者へ、知らせるというのは、決して怪談というべき類では無かろうと思う、これは立派な精神的作用で、矢張一種のテレパシーなのだ。
 私の知ってる女で、好んで心理学の書を読んでいた人があったが、その女の談に、或時、その女が自分の親友と二人遠く離れて居て、二人の相互の感情が通うものか、如何か、一つ実験をしようと、前以て約束をして、それから後、お互に憶出した時、その月日と時刻とを記しておいて、後になって、それを互に合してみると、その中の十中の六までは、その相互の感情が、ひったり一致をしていたそうだ。元来女の性質は単純な物事に信じ易いものだから、尚更こういうことが、著るしく現われるかもしれぬ。それが為めか、かの市巫といったものは如何も昔から女の方が多いようだ。

「いま、これから東の方に向って、この花巻を発つ。目的地の遠野に着くには、今夜、夜が少し更けてからだそうだ。」――この頃は、もう少しずつ雪が解けはじめたので、途中が非常な悪路だと聞いた。私は今日の道の困難なことを想像しながら、右の文句をはがきに書いた。私はこんどその遠野に帰っている友人に会うために、東京を出て来たのである。
 ところへ、宿の女がはいって来て、馬車がくる頃だから用意をしろという。私は急いで、そのはがきに午前九時十分と時間を書き入れた。それを留守宅の宛名にして、それから、ほかの一枚にも同じ文句を書いて、来る路に仙台で世話になった家に宛てた。
 手ばしこく洋服を着た。宿屋の勘定は前にすましてあったから、用意ができると玄関に出て行った。宿のものに送られて、靴を穿きながら空を見ると、つめたい、灰色の煙が立ち籠ったような空の色だ。
「これが、北国空か……」と思いながら、寒さと寂しさとがからだに沁みて来るようなので、私は堅く唇をむすんだ。
 宿屋を出て、町の街道にくると、出たところに白い布の垂幕をおろした、小さな箱形の馬車が二台並んでいた。

 足、その地を踏んだでもなく。画でその地の景色を見たでも何でも無いのに、始終、夢に或地の景色を見る。一日、不図或る道へ出た。するとその道は夢に、その或る景色を見に行く道に寸分違わぬ。あまりの不思議さにその道を辿って行たら、果然、夢に見馴れた景色のその土地に到着した。これは自分の友人が親しく実見した奇話である。
 弘治二年に戦没した先祖の墓は幾百年の星霜を経て、その所在地は知られなかった。すると或る晩に、その墓は五輪の塔で、こういう木の下に埋まっていると夢に見たので、その翌日檀那寺へ行って、夢に見た通り探がすと果して見付った。これも友人が最近に見た正夢である。